2006年10月30日

DIEGO☆

10/30。 誰もが知っているあのディエゴ・マラドーナの誕生日です!

おさらいも含めて簡単なプロフィールを☆

1981年にアルゼンチンの名門でありマラドーナ自身も熱狂的なサポーターであるボカ・ジュニアーズに移籍した。翌シーズンにはスペインのFCバルセロナ、1984年にはナポリに移籍する。ヨーロッパでもマラドーナのプレーは人々を魅了し、ナポリではサポーターから「ナポリの王」と呼ばれ愛された。彼が入団を決めた直後から、ナポリのシーズンシートが瞬く間に売れ、莫大な移籍金および給料を払ってもなお、数年後にこれまた超大物のカレカを獲得出来るほどナポリの財政は潤った。

また、アルゼンチン代表でも1986年メキシコワールドカップ、準々決勝イングランド戦において、『神の手』ゴール(ゴールする際に手でボールを叩いていた(反則)にもかかわらず審判がゴールを認めた)や『5人抜きドリブル』はサッカー史上に残るプレーとなり、チームも優勝したことから『マラドーナのための大会』と呼ばれた(後述)。

しかし、1990年イタリアワールドカップはマラドーナにとって不幸な大会となった。準決勝でアルゼンチンはイタリアとナポリで対戦、マラドーナの活躍で同点に追いつき、PK戦でアルゼンチンが勝利した。この試合の後マラドーナとナポリサポーターの関係は悪化し翌年セビージャに移籍した。

1994年アメリカワールドカップでは大会途中に薬物使用で大会を追放された。この件で一度日本への入国を拒否されていたため、2002年のワールドカップではアルゼンチン政府代表という肩書きで日本に入国した。

2003年、見る影もないほどの極度の肥満と薬物の影響か一時危篤状態となったが、一命を取り留めた。2004年には20歳のキューバ人女性との婚約を発表した。また胃の切除手術を行い、ダイエットにも成功している。

2006年、ドイツW杯では、アルゼンチン代表のサポーターとして、ユニフォームを頭上で振り回しながら応援する姿が放送されている。ドイツW杯終了後、アルゼンチン代表の次期代表監督候補として名前が挙がっている。

現在経済危機に陥ったアルゼンチンでは、マラドーナを復活と再生のシンボルとして崇めている。

自分のサッカーのバイブルにもなった人物です。後個人的にはコロンビアのカルロス・バルデラマも大好きです。

この二人の話でしたらA日は話せます(笑)

ご存知の方もいらっしゃると思いますが、SPAZIOでもDIEGOロングteeを作った事があるんです!

写真は小倉選手と四日市中央工業で一緒にプレーをしていた中田一三がディエゴトングTEEを着てくれてる写真です☆

一三 HP http://www.nakata13.com/

Photo_123 Maradona

posted by SPAZIOくん at 18:45 | Comment(2) | 日記

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